覚醒-1

 

覚醒

Season of Hollyhock 

 

Prospect

 

 

 

 

 

 五月二十二日

三日目に突入しても、雨はまだ降り続いていた。坂河葵は窓から外を眺めていた。

 マンションの前にあるのはちょっと見、森のような公園。中学生にして一人暮らしの葵の部屋からは見え

ない茂みの中に、もう三日も子供がそこにいることを彼は知っている。

 ――いい加減、放っておくのマズイよなあ……。

 おそらくは、三日間なにも口にしていない。葵は傘を持って部屋を出た。

 「――おい」

 声をかけると、座り込んでいる小さな肩がピクリと震えた。

 「なにしてんだ、そんなとこで? 大丈夫か」

 ゆっくりと顔が上がる。びしょ濡れの痩せこけた顔に、伸びた黒髪が張り付いている。虚ろに見開いた目

が葵を見た。

 「――とゆに?」

 かすれた声に、え、と聞き返す。子供の色のない唇が動くが、それは声にならない。

 ぐらり、と突然大きく揺れた。慌てて伸ばした葵の腕の中に、倒れた。



 『山波圭斗(♂)

   十二歳

   五月十九日生

   牡牛座

   AB型

   小さい

   かわいい

   “力”あり

   見つけたら平内(根岸でも可)まで』

 「椎名さん、なんかファックス来てますけど」

 「ん。持ってきて」

 葵の声に、何でも屋ハリィハックの社長・椎名は顔を上げずに言ったが、

 「ちょっと、無理です……」

 「なんで」

 見ると、彼は子供を一人背負っていた。傘も差してこられなかったらしく、ずぶぬれになって、歯をガチ

ガチと鳴らしていた。

 「なに、また拾ってきたの」

 「そんな言いかたしなくたって……」

 葵はソファに子供を寝かせると、濡れた服を脱がせた。椎名がファックスの紙を取り上げる。

 「葵、その子、これじゃない? 写真がついてる。盗撮っぽいけど」

 「どれです? あ、ほんとだ」

 「ちょっと、濡れたままで近寄らないで」

 「………」

 葵は上着を脱ぎ、洗面所へ入っていくと、お湯で絞ったタオルを手に戻ってくる。手早く子供の体を拭く

と、寝室へ運ぶ。五分ほどで出てきた彼は再び洗面所へ入る。少しして、浴室でシャワーを使う音が聞こ

えてきた。

 「山波圭斗、“力”あり、か……」

 椎名は独りごちて、寝室のドアに目をや遣った。

 ――仕方ないか。

 葵はそういう性分なのだ。弱っている子供を見捨てることができない。

 ハリィハックの人員は、椎名を含めて二人だ。ただし、表向きは、だ。本当のところ、ほかに十五歳以下

が四人いる。葵はその一人だ。しかし、どうやらもう一人増えそうである。



 葵が気になっているのは、あの子供に関するあのファックスだ。もちろん、椎名も気にかけているだろうし、

彼女に任せていれば何の問題もない。だが、彼を探しているのが「平内」または「根岸」、というのはどうい

うことなのだろう。親なら「山波」のはずだ。しかも写真は盗撮だと思われるもの。加えて、あの体の小ささ、

細さ。その小さな体にあった無数のあざ。

 洗面所を出た葵はベッドで眠る圭斗の顔を覗き込んだ。

 と、突然圭斗が目を開けた。何も見ていないような目が葵を向いている。葵はにっこりと笑った。

 「おはよう、圭斗」

 「………」

 はっきりと葵を見た。すがるような眼で、というのは葵の思い過ごしかもしれないが。

 「腹減ってるだろ? 今お粥かなんか作ってやるから。嫌いなものとか食えないものとかある?」

 返事はない。葵は苦笑し

て、圭斗の頭を撫でた。手が触れる瞬間、びくりとおびえたようにまぶたを引きつらせたが、無視して黒髪

の頭を掻き回す。

 「大丈夫、怖くないよ。ここの人間は、いいやつばっかりだから」

 圭斗は信じられないものでも見たような顔をして、それからその大きな目を伏せた。

 ――言葉通じてないってことないよな?

 少し不安になったが、とりあえずおとなしい圭斗をおいて、葵は寝室を出た。



 五日後、圭斗は葵の部屋の居候になっていた。椎名が圭斗の親に連絡を取り、彼女は圭斗の保護者代

理になったらしい。

 葵は圭斗に日記を書くように命じた。目的は、日本語の特訓。完全に忘れていたわけではなかったので、

五日かけ、何とか普通に話すことはできるようにはなったのだが、読み書きのほうはそうはいかない。ただ

でさえ、椎名が家事にこき使うので時間がとれないのだ。おかげで信じられないことに、圭斗はたったの五

日で、完璧に家事をこなせるようになってしまった。

 朝食を済ませ、二人でハリィハックへ。椎名はまだ来ていないが、圭斗を独りおいて、葵は学校へ行く。

 「じゃあな、圭斗。いい子で留守番してるんだぞ」

 「うん、行ってらっしゃい、葵v」

 圭斗は満面に笑みを浮かべ、葵の後ろ姿に手を振った。



 「頼む坂河、女紹介して」

 同じクラスの大崎が、葵を拝むように手を合わせて言った。

 「なんだよ、急に」

 「……引田がさ、おれのことばかにするんだ。どーせ彼女なんていないんだろうって。女紹介してやるだな

んていうんだ!」

 「………」

 「悔しいだろ!? おれは悔しい!」

 「まあ、おまえのことだし」俺は悔しくない。

 「で、つい、おれにだって彼女ぐらいいる! ……って言っちゃったんだ」

 「それで〜?」

給食の牛乳を吸い込みながら相槌を打つ葵を、大崎は恨めしげに睨みつけた。

「おまえはいいよな、学校で一番もてるし。金はあるし」

「卑屈なやつだなあ。金って、親の金だろう。それによく見ろ。俺はこんなに平凡な顔してるんだぞ。俺がも

てるのは俺自身の内面の魅力だ」

「……おまえっおれに魅力がないと……!?」

「あ、わり(つい本音が)。ところで本題はどこ行った」

「だから、女紹介してくれよ。引田に見せなきゃいけなくなっちゃたんだ」

「ああ、そういうことか。んーじゃあいくら出す?」

「おまえは友達から金を取るのか!?」

「いやならいいぜ。校内の娘(こ)に声かけて頼むから」

「そっそれじゃ引田にばれる!」

「だろ? だから仕事として引き受けてやるっつってんだよ」

「うう、そうか、何でも屋やってんだっけ」

「どうする?」

葵はにやりと笑い、大崎を見た。



5がつ27にち

しいなさんがかみのけをきってくれた。

きょうはかつみとちかしつでないしょのことをした。いたかった。

なみさんのつくるごはんは、とってもおいしいといわないといけないらしい。

あきとりょうやはきょうもゆかい。

あおいのぴあすは5こだった。



 「えらいなー圭斗。ひらがなもう全部覚えたのか」

 何日分かの日記を見ながら葵が言うと、圭斗は「うんっ」と勢いよく頷いた。テーブルに頭をぶつける。

 「………っ!」

 「なにやってんだよ……」

 「だって……テーブルが高い……」

 額を押さえた圭斗は泣き声ま混じりにいう。

 「いったぁいぃ」

 「なあ圭斗。かつみ克魅と地下室でなにしてたんだ?」

 「ないしょv」 

 圭斗は言うが、どうせろくでもないことしてんだろうな、と予想はつく。

 「いいけどさ、怪我には気をつけろよ」

 溜め息をつきつつ、日記のノートを返した。

 「さて、と……」

 パソコンに向かう。圭斗が背後から覗き込んでくる。

 「なに? お仕事?」

 「まあな。しっかし友情料金だなんて言いやがって、大崎のやつ。なめてやがる千円だなんて。引田は

一万出したぞ……」

 ぶつぶつ言いながらキーを叩く。

 「料金表とちがうよ?」

 首を傾げた圭斗に、

 「それは、ここ事務所に来て正式に依頼する人のだよ。書類とか書いたりしてな」

 「ふぅん、ちがうんだ」

 やたらと感心している圭斗の頭に手をやり、軽く押す。

 「ほら、おまえは歯磨いて、寝る支度してろ」

 「はーい」

 圭斗は素直に頷いて、二、三歩ある歩いて振り返った。

 「ね、葵。オレもお仕事したいなあ」

 「はあ?」

 葵はギョッとして圭斗を見た。

 「まだ早い。もう少ししたらな」

 「……どうしても?」



 「どうしても。ほら、明日から学校に行くんだぞ、おまえ。早く寝ろ」

 「はぁい……」

 圭斗は渋々ながら引き下がった。



 「おはよう〜陵也ぁ、おきてぇぇえ」

 「う〜ん……圭斗……?」

 布槌陵也がベッドの中でもそもそと動き出し、圭斗は二段ベッドの上段へ移動する。蒲団から金色の

髪の毛がのぞいている。

 「アキ〜〜」

 「乗るな、圭斗。アキはいいんだ、自分で起きるから」

 葵が圭斗をひょいと持ち上げ、下に降ろす。

 「あー葵ぃ、おはよぉぅ」

 「おまえもいい加減起きろ」

 寝ぼけている圭斗の額にデコピンを食らわす。

 「いだい!!……あれ?」

 眠気のとんだ圭斗は、なぜこの場にいるのか分かっていない。

 「よし、朝飯だ」

 「? ああ、朝ごはん朝ごはん」

 圭斗が朝食の支度を始める。その背中に、

 「アキと陵也の分だけだぞ」

 と葵が声をかける。

 「どうして? あれ、オレおなかすいてない……」

 食べてきたんだっけ、と味噌汁を温めながら圭斗は首を傾げている。

 「あー腹減った」

 「おまえよく起きてすぐ腹減るよな」

 小林秋人が陵也をつつきながら食卓に着く。

 「え、アキ、減らないの?」

 「普通十分二十分要るだろ」

 「そっかなー。あ、さんきゅ圭斗」

 「じゃ、俺行くからな。アキ陵也、圭斗頼むぞ」

 葵が立ち上がって言った。

 「ちゃんと戸締りしろよ。じゃ、いってきます」



 「さっかがわ――っ!!」

 学校に着くなり、葵は後ろから抱きつかれた。

 「ぐえっ。……なんだよ、大崎」

 「女の子は?」

 「ああ、今あたってる。そういやおまえ、どんなコがいいんだ?」

 「そりゃあこう、さあ、ギューッと抱きしめられるくらいの、ちょっと小柄で、きゅうって感じのかわいい……

ってそんな悠長な!」

 「ん?」

 おんぶ状態の大崎を振り返る。「そういえば、いつ引田に会わせるんだ?」

 「今日」

 「はっ?」

 「今日の四時」

 「聞いてねえぞ!?」

 「言い忘れてたんだよ。……無理?」

 「う〜ん……」

 腕組みして考え込む葵。彼も、うかつだった。もう一方の依頼人、引田からはこの日時を聞いていたはず

である。

 (こりゃあハリィハック身内に頼むしかねえな。誰だ? 椎名さんじゃあ年離れすぎだし、那未は俺の彼女

だし小学生だし嫁入り前だし……あと男しかいないな)

 そうだ、こうなったら陵也あたりに女装でもさせるか。

 大崎には気の毒な結論を出して、葵は一人、うんうんと頷いていた……。



 大崎が見たのは、彼が葵に言ったとおりの、小柄な美少女だった。ショートカットがよく似合っていて、こ

ちらに気づくとにっこりと笑った。彼は友人に感謝した。

 葵が見たのは、校門で葵を待っていた圭斗と、それにつき従う秋人と陵也。メールで頼んでおいたのに、

陵也は女装をしていない。しかも、何てことだ、圭斗は大崎の言っていた、「理想」そのものじゃないか!

隣を歩いていた大崎の目が圭斗を捕らえ、感激に潤んでいる。圭斗は校舎から歩いてくる生徒たちの中か

ら目敏く葵を見つけると、嬉しそうに笑った。その笑顔に、大崎がよろめいた。彼には圭斗が天使のように

見えるのだろう。葵には犬に見えるのだが。

 「おかえりなさい、あお――」

 大崎を置いてダッシュした葵は、圭斗を校門の外側に押し付けた。

 「この際だ、圭斗、頼まれてくれ」

 「う?」

 圭斗は大きな眼をぱちくりさせている。

 「おい、葵!」

 「まさか、圭斗に……」

 秋人と陵也が非難の声を上げる。

 「何かあったらどうすんだよ」

 陵也が葵をきつく睨みつけた。

 「大丈夫だって。圭斗は子供だし、男だぜ」

 「だからって……絶対に何も起こらないとは限らないだろ」

 陵也の袖をつかんで言った秋人の顔が、泣きそうに歪んでいる。

 「あ――」

 「アキ? どうしたの?」

 圭斗が首を傾げた。

 「なんでもねえよ」

 陵也が秋人の肩を抱いて言った。「オレら先帰るわ。また明日な、圭斗」

 「うん、ばいばーい」

 圭斗が手を振る。その横で、葵はひっそりと息を吐いた。

 秋人の前で、うっかりとはいえあんなことを言ってしまうとは。軽率だった。なんて無神経なことを。

――深く反省する葵だった。   

 

 

 

 

 

 

 

 

NEXT

BACK

TOP

 

 



 

Season of Hollyhock
は番外編です。
今回は山波圭斗が六年生の時のお話です。
これもまた長くなるのですが、どうぞ辛抱強く最後までお付き合いくださいvv

 

 

 



[PR]湘南美容外科で働きませんか?:全国19院。医師、看護師ほか募集中