タイトル

 

 

5. 灰色の悪魔(グレイデビル)

 



 

 

 


六月五日 PM11:32_
ゴキッ。
何人目かの用心棒が倒れた。
「――ったくぅ。次から次へとうじゃうじゃと……」
陵也が肩で息をしながら毒づいた。
「簡単な仕事って言ってたのになぁ」
と、秋人。
「単純な仕事って言ってたぞ、椎名さんは」
葵が訂正した。
某会社からある書類を盗み出してくること。それが今回の依頼、葵たちの仕事だ。
「ブラックドラゴンだな、こいつら。てーことは、この先何人出てきてもおかしくない、と」
「げえ、やだな、めんどくせえ」
「しかもこのメンツ……」
秋人が不安そうにつぶやく。せめて克魅がいれば。彼ならばどんなに敵が多かろうと、“竜(ドラゴン)”にも匹敵するその圧倒的な“力”で、勝利を、いや仕事の成功をもたらす。なんだかんだ言っても、最後には頼りになる長兄なのだ。
「心配すんなよ」
葵が秋人の金色の髪の毛を撫でる。「ブラックドラゴンで“力”持ってるのは黒竜だけだろ。いざとなれば俺の背後(うしろ)に隠れちゃえばいいんだ」
「でもさ……」
秋人が言いかけた言葉を、陵也が引き継ぐ。
「葵の“力”って、並じゃん。それより強い“力”持ってるやつが出てきたら、それこそ一巻の終わり! だろ。いまいち安心感に欠けるんだよな」
「……無いよりはましだと思え。“力”のあるやつさえ出てこなきゃほぼ無敵なんだぞ。それに、克魅(かつみ)がいると俺の気苦労が増えるの。すぐいらん遊びに走るんだから」
「まあ、それはそうなんだよな。あいつは敵に囲まれた状態でも、背後からいきなり味方の脇の下くすぐるようなやつだから」
うんうんとうなずきあう三人。これはひょっとすると、いつも連絡取れないのはラッキーなことかもしれないぞ。そうだよな。いやあ、よかったよかった。――本人が聞けば大変なことになるようなことを言っている。
通路を進み、やがてたどり着いたのは、大胆にも『書類室』とプレートを掲げたドアの前。
と、部屋の中に人の気配がする。
「待ち伏せか。ブラックドラゴンの下っ端連中にしちゃあ考えたな」
にまりと笑い、葵が鍵のかかっていないドアに手をかけた。
一気に引き開ける。
「!!?」きゃあっ
待ち伏せではなかった。
びくっと振り向いた、白い小さな顔。黒い髪、細い肩、大きな目。
三人は幻覚かと目をこすったり、頭を振ってみたりしてが、ここにいるはずのない圭斗の姿は消えない。
「葵!」
床にぺたりと座り込んでいた圭斗が立ち上がる。「よかったあ、入れ違いでもう帰っちゃったのかと思った」
「……な、なにしてんだよ。こんなとこで?」
と、真っ先に我に返った葵。
「オシゴト。椎名さん拝み倒しちゃった」あは
「あは、じゃない! 大体おまえ、一人? どうやってここまで――怖いニーサンたちがいっぱいいただろ?」
「ああ――」
圭斗はこともなげに、
「たおした。オレつよ〜イv」
「ニャ〜〜オ」
肩の上で灰が同意するように高らかに鳴いた。
葵は呆れるより脱力し、秋人と陵也は素直に感心する。
「………よし、仕事しよう」
葵が気を取り直して言った。
しかし、部屋の中いっぱいに、書類の山、山、山……。
「こ、こん中から探すの?」
「げえ、朝までかかるぞ」
秋人と陵也が文句を言う。
「う〜ん、間違えて持ってったら洒落になんねえ」
うんざりしている葵の袖を、圭斗が引いた。
「どうした?」
「見つけといたよ。これでしょ」
一組の書類を差し出す。
「……おまえさ、俺たちより後にハリィハック出たんだよな?」
「うん、一時間ぐらい後」
どうして先回りされているのだろう。
「よし、そんじゃ帰ろー」
万歳、とばかりに両手を挙げ、陵也が言った。

出口に向かって歩いていたその時、
「ぬあっ!?」
突然、床が抜けた。見たところ、約一m四方の穴の上に、ちょうど立っていたのは葵。落ちていく。
「なんだあああああああああああああああ………」
「葵ーーーーーっ!?」
「やばいっ、底が見えない!」
闇の中へ墜ちていき、見えなくなってしまった葵。取り残された小六少年三人。
「……どうする?」
穴から顔をあげて、陵也が言った。年上の三人(椎名、克魅、葵)がいない時、次に頼られるのは秋人だ。
「う〜ん……」
「葵ー、あおいぃぃ」
圭斗が穴から身を乗り出す。
「ばかっ、おまえまで落ちたらどうすんだよ!」
陵也がしっかりと捕まえる。
しかたない、と秋人が言った。
「フリだけでも助けに行かないと拗ねるんだろうな」
「ああ、やだなあ。やられに行くようなもんじゃん」
「だからフリだけだって。どうせ葵なんて、わざわざ助けなくたって自分でなんとかできるんだし」
「……まあ、それもそうか。黒竜なんかが出てきたら別だけど」
「よし、行こう!」
一声叫び、圭斗が穴に飛び込もうとする。
「こらこらこらこらこら!」
間一髪、陵也が床に組み伏せた。
「こっから追いかけてどうすんだよ、死ぬ気か!?」
「だいじょーぶ、うまく着地するから」
胸を張った圭斗に、
「足、ぶっこわれんぞ」
「そーなの?」
「おし、とりあえず行くぞ」
秋人が立ち上がる。
「道分かるのか?」
「知らん、てきとー!」
陵也の問いに胸を張って答える秋人であった。

“力”をうまく使えば、どんな高さから落ちようと、無事に着地することなど造作もない。しかし葵は、
「いってー……」
少し失敗し、足をひねってしまった。目を潤ませ、立ち上がる。倉庫のようだ。山積みのダンボールや、粗大ごみと思われるものが乱雑においてある。
黒い開襟シャツに黒いレザーパンツをはいた、目つきの悪い長身の男が立っている。
「黒竜……」
「なんだ、俺に逢いに来たのか」
「落ちたんだよ! どうせおまえの仕掛けだろ」
「ここの社長に好きなようにいじっていいといわれたんだ」
「面白半分で他人の会社に落とし穴作るなよ」
「いいんだよ。こんな、ろくにギャラも払わねえようなとこ、なにしたって」
「ふうん。ま、いいや。俺には関係ないし。で、出口どこ」
「あ?」
黒竜が、嘲るように笑った。このまま帰れると思ってんのか?」
「弱者いたぶる気かよ」
「ふん、それも悪くない。ブルーデビル、心身ともに追い詰められたらおまえは、どんな顔をするのだろうな。どんな声で鳴くのだろうな……?」
本気なのかふざけているのか、黒竜は低く笑う。
かまってられない、とばかりに、葵はくるりと背を向けた。よく見れば段ボール箱の陰に、出入り口らしきドアがあった。一歩踏み出したとき、左足首に激痛が走り、おもわずしゃがみこんでしまう。骨にひびでも入っているのかもしれない。
「怪我したのか」
「え? ――うわっ」
黒竜が葵をひょいと抱き上げ、古ぼけたソファに座らせた。彼はその前に跪(ひざまず)き、足首を手に取ると、そっとキスをした。

十分後、年少組はようやく葵を見つけた。しかし、ソファに横たわった葵のすぐ横に、黒竜の姿が。
「どうしよう、アキ?」
ダンボールの陰にしゃがみこんで相談する。
「葵が目を醒ますまで待つ、とか?」
「克魅を呼んでみる」
「無駄無駄」
「よぉ、なにこそこそやってんだ」
ぎくりとして顔を上げると、壁に腕をつけて彼らに覆いかぶさるように、黒竜が立っていた。
「…………ちょっと、作戦を」
「ほう、作戦ね」
黒竜はニヤニヤと笑っている。
「あきらめて帰りな。おまえたちになにができる」
「うるせえ!」
陵也が、手にした警棒型のスタンガンを、黒竜めがけて横に薙いだ。
「あぶねーな――」
造作もなくかわした黒竜は、薄笑いを浮かべたまま手を陵也の肩に触れた。パシッという小さい音。
次の瞬間、陵也は背中から壁に叩きつけられていた。
「陵也! くそ……っ」
ナイフを取り出そうとした秋人の横面に黒竜が膝を叩き込んだ。脳震盪を起こした秋人は圭斗の目の前に倒れた。
「どうした。おまえもハリィハックなんだろう?」
圭斗は、黒竜の顔を見上げた。座り込んだまま、膝に乗せていた仔猫を床に下ろす。
「灰、ちょっとあっち行っててね――」
灰は圭斗の膝に体をすりつけ、不安げに一声鳴くと、黒竜の反対側に駆けていった。
ひどい耳鳴りがしていた。黒竜の姿が、なんだかぼやける。

顔を上げた圭斗の、無表情の中に浮かんだ憎悪。黒竜は、彼のそんな顔を見たことがなかった。しかし過去に、同じような表情をした人間は、知っている――
まずい、と思った瞬間、圭斗の体から、不可視の“力”が溢れ出した。
「うっ……」
黒竜は間一髪、自分の“力”を身に纏い、防御したが、それでも二、三歩後退った。倒れていた秋人と陵也が圭斗の“力”で宙に舞う。
(冗談じゃねえ――)
圭斗のこの“力”は、“竜(ドラゴン)”に匹敵している。いや、もしかすると、それ以上かも知れない。少なくとも、青竜(ブルードラゴン)と呼ばれる少年のものよりは、確実に強い。
圭斗をこのままほっといて黒竜一人で逃げ出すことは容易だ。“力”が暴走しても、それが放出し続ければ底をつき、自然に止まる。ただひとつ問題は、そうなったとき、そこに待っているのは死だ。
まあこの際、圭斗がどうなろうが黒竜にはそんなこと関係ない。問題は、黒竜自身の腕力だ。自分のものと同等の“力”から“力”で身を守っている以上、筋力をサポートするのにまわす分はない。はっきり言って、ブルーデビル、坂河葵のしっかり鍛えられた肉体を抱えて行ける自信はない。
「く……っ」
絶えることなく襲いかかってくる“力”に、黒竜はおもわず声を上げた。
「こら――いいかげんにしろ、圭斗!」
しかし虚ろな表情のまま座り込んでいる圭斗は、ピクリとも動かない。
彼は、唐突に気づいた。さっきから、秋人と陵也は壁やら床やら天井やらにぶつかって悲惨なことになっているが、せっかく彼の手に墜ちかけたブルーデビルまでそんなことになってしまっていたら――
「あお、ブルーデビル……!?」
振り返った黒竜が見たのはしかし、床に置かれたソファに横たわって静かに眠ったままの、葵。
と、その葵が目を醒ました。
「ん……? なんだ……?」
頭を振りながら起き上がる。そこに陵也が、文字通り飛んできた。
どごっ。
「うご!? ……なにすんだよ龍!」
「俺じゃねえ!」
黒竜は葵に歩み寄ると、耳元で囁いた。
「今日はおとなしく帰ってやるよ。その代わりといっちゃなんだがな、――――(ごにょごにょごにょ)」
「はっ? 冗談だろ。そんなこと許さねえぞ!」
憤る葵に、黒竜は小さく笑った。
「じゃあな、ブルーデビル」

圭斗の“力”は一向に弱まらない。しかし彼自身が弱っていくのは、はっきりと葵に感じられた。
圭斗の今の“力”は、例えていえば「超強力な向かい風」。
(でも、俺にはなんともないな……)
飛んでくる秋人と陵也を避けながら、葵は足の痛みも忘れて圭斗に近づいていった。
「圭斗! 目ェ開いてんだから起きてんだろうが! 俺の声聞こえてんだろ!?」
圭斗は反応しない。葵は彼の前にしゃがみ込み、どうしていいのか判らぬまま、そっと手を伸ばした。しかし、指先が圭斗の黒い髪に触れようとしたとき、圭斗が顔を上げた。
「さわるな――」
冷ややかに投げつけられた拒絶のまなざし。正気のものではない、おそらくは自分に向けられたものですらないとはわかっていても、葵はショックを受けずにはいられない。
「圭斗――」
半月も一緒にいたわけじゃない。それでも、葵の知っている圭斗は、こんな表情をする生き物ではない――
自分は今、どれほど情けない顔をしているのだろう。実の弟に、泣きながら「嫌いだ」と言われた時と同じくらいに、胸が痛む。
(ごめん楓(かえで)、おまえを捨てたつもりはないんだ)
(兄ちゃんはおれを身代わりにするつもりなんだ。父さんが嫌いだから、自分だけ出て行くんだ――!)
「―――葵!」
突然肩を摑まれて、我に返る。
「にいちゃん……」
「なにやってんだ」
乱暴な手つきで、しかし優しく涙を拭われる。
「なんでもねえよっ」
克魅にベエと舌を出し、躊躇わずに圭斗を引き寄せた。びくりと、圭斗が揺れた。
「帰るぞ、圭斗」
「あ――」
圭斗の目が、裂けんばかりに見開かれた。不意に“力”が止み、圭斗が暴れだした。
「いやだ――いやだいやだいやだ! うそつきッ、だいきらいだ! はなせえっ」
「圭斗!」
「おまえなんかきらい、ぜったいにゆるさないから――」

「灰色の悪魔(グレイデビル)? 圭斗が?」
「なんだよ、それー」
秋人と陵也が文句を言った。秋人は克魅の背の上、陵也は克魅に引きずられた状態で目を醒ました。
「黒竜がそう言ったんだ。 “竜”は“悪魔”を決められるからなあ」
と、圭斗をおぶっている葵。
「陵也、圭斗持て」
克魅が、放り出した秋人と陵也の上に、葵から引っぺがした圭斗を載せる。問答無用、とばかりに、足に怪我をしている葵を横抱きに抱き上げた。圭斗を支えながら陵也が口を尖らせる。
「葵にばっか甘いよなあ。お姫様抱っこまでしちゃってさあ」
「おひっ……下ろせ馬鹿!」
頬を赤くして暴れた葵だが、バランスを崩して頭から落ちそうになり、慌てて克魅の首にしがみつく。
「チクショウ、おぼえてろよ……」
心から悔しそうに、葵は吐き捨てた。
「らぶらぶだな」
「ああ、らぶらぶだな」
ニヤニヤと、秋人と陵也が意地悪く笑う。葵は二人を怒鳴りつけようとして、できなかった。
(うう、なんか克魅(こいつ)、なんでかちょっと嬉しそうだよ……)
怖くて何も言えなくなってしまう葵だった。

(         6月5日
夢を見た。とてもイヤな夢だ。
小さな“オレ”がいた。小学校に入る前の。そこに、みんなもいた。
そのころの“オレ”にとって、なくてはならない人たち。おとうさんから守ってくれて、おかあさんのかわりに抱きしめてくれる、二人のお兄ちゃんと、“オレ”と同い年くらいの男の子が三人か四人。女の子が一人。みんな、“オレ”より体が大きかった。
その日、男の子の一人が、遠くへ引っ越すことになっていた。一番仲のよかった子だ。
泣きじゃくる“オレ”に、その子が言った。
「ケートのじゅうにさいのおたんじょーびまでにぜったいむかえにくる。だからまってるんだよ? ぜったいだからね!」
“オレ”は何の疑いもなくうなずいた。そして、大きいほうのお兄ちゃんも言った。
「じゃあそれまで、おれがケートのそばにいてやるよ。ジュンが帰ってくるまで、ずっと守っててやるからな」
大きくて強い手が、“オレ”の頭を優しく撫でてくれた。

その夢で、思い出してしまった。これは現実にあったこと。
だからオレは、約束が守られなかったことを知っている。
“ジュン”が引っ越してすぐ、オレも引っ越した。“おにいちゃん”にはそれから会っていない。オレはずっと一人で、それでも待ち続けた。オレの十二歳の誕生日までに絶対に迎えに来てくれると言った“ジュン”を。そばにいて守ってくれると言った“おにいちゃん”が現れるのを。
その約束だけを信じて、ずっと耐えながら、待っていた。
だからあの日、五月十九日、気がつくと家から逃げ出していて、雨が降っていて、すごく寒くて、心細かったけど、もうどうでもいいと思っていた。木のいっぱい生えているところに座り込んだとき、もう動けなくなって、もう涙も出なくて、水の音がオレを責めているような気がして――――               )

6月5日
葵たちがオレをおいて仕事に行ってしまった。椎名さんに頼んで乱入させてもらった。
途中からのことは忘れてしまったが、とにかくオレは大活躍だった。また一歩、立派な男に近づいたのだ!
そしてついに、蒼いピアスと、ハリィハックの一員の証であるクロスをもらった。オレのは灰色で、灰の毛皮と同じ色だ。

「もう日記は必要ないかな」
葵はノートを閉じた。圭斗の頭を撫でて、
「すごいな、漢字ももう問題なしだ」
「ほんとっ? やったあ、めんどくさいのがなくなった!」
バンザイッと両手を挙げる圭斗。
「ははは、そこまで素直に喜ばんでも……」
「だって、克魅が勝手に読んで笑うんだもん」
ぷう、と頬を膨らませて、テーブルにあごを乗っける。
「それはいけないなあ。よし、文句言ってやろう」
ケータイを取り出し、メールを送る。『克魅のばーか』。圭斗もそれに倣う。そして二人して再送、再送、再送……。
「さってと。そろそろ寝るか。そうだ圭斗、今日は最初から一緒に寝るか」
葵の部屋に住み始めてしばらく、圭斗は毎晩のように夜中に目覚めては、声に出さずに泣いていた。そのたびになぜか葵は目を覚まし、圭斗を自分のベッドに運んでいた。ここ一週間ほど、ようやくそれが減ってきたところだ。
「お、オレ、ひとりで寝られるもん。――あ、そうか、葵が寂しいんだ」
圭斗はにっこりと笑う。
「しょうがないなあ。いっしょに寝てあげるv」
「ははははは。早く寝なくちゃなあ。もう朝まで七時間しかないぞ」
「コーフンしてねらんないかもぉ。明日は動物園んvv」
歓声を上げて、圭斗は葵のダブルベッドに飛び込んだ。


彼はハリィハックという「家族」に囲まれて、幸せな時間を過ごす。
決して遠くはない未来に、彼らとの別れが訪れる、その日まで――

 

 

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