5月19日

『身体検査ってもう終わってるよな』
5月10日。授業中、山波圭斗のケータイに、別の中学に通う幼馴染み、根岸透夜からそんなメールが届いた。
何故そんなことを訊いてくるのかと思いながら、『今日やる』とだけ返事を送る。
『今日帰りに会おーぜ。一番背伸びた奴のおごりでいつものとこ』
圭斗は机の下でこっそりと拳を握る。
おごりたい……!
ファーストフードで3人分の食事代。そんな出費は彼の懐には厳しい。しかし、身長云々は譲れない。なんといっても中学男子だ。「人より高い身長」に憧れるのは当然だ。
(おまえに成長期なんか来るのかよ)
前に通っていた中学で、毎日のように喧嘩していた相手に言われたときの屈辱。今思い出しても腸(はらわた)が煮えくり返る。
確かに、あの頃の圭斗はたったの150cm弱。そのときも今も、じわじわと、確実に伸びてはいるが、周囲の人間に訪れる、あの急激な伸びは一向にやってこなかった。
成長痛だけではない。声変わりも髭も、未だ経験していない。
彼は時々思う。神は自分を見放しているのではないのか、と。



「圭斗さ、前は緑穂にいたんだよね」
放課後、圭斗は透夜ともう一人の幼馴染みの平内誠太と3人でハンバーガーショップに居た。誠太がコーラのストローをくわえながら訊いてくる。
「『けーちゃん』って呼ばれてるコに心当たりない?」
「……なんで?」
それはまさしく自分のことだろうとは思いながら、それを告げずに聞き返す。
「彩太の好きなコなんだ」
圭斗は軽くむせた。
「大丈夫? でさ、アヤも『緑穂中のけーちゃんさん』としか知らないらしいんだ。だからぜひおれが見つけてあげようと思って」
「…………それは、いいおにいちゃんだね」
弟に嫌われている誠太としては、なんとか名誉挽回しようと必死なのだ。ただ、そういう行動が余計に嫌われる原因になっているとは気づいていない。
「で、聞き出した情報では、彼女は去年と一昨年のテレメンマスコットだったらしいんだ。おれたちもテレメン見に行ったんだけど、すっごいかわいかった。誰だかわかんない?」
テレメンとは、緑穂中学校の文化祭の目玉行事である。学校内で恥ずかしいことをいろいろやってしまうテログループと生徒会の戦いを描く。発案者は2年前の卒業生、坂河葵。
「え〜と……ごめん、ちょっとわかんない」
「そっかぁ。学校行事とか興味なさそうだもんね、圭斗」
今はね。心の中で言いながら、圭斗は黙って頷いた。
「写真があるんじゃなかったか?」
透夜に言われて、誠太はそうだった、と生徒手帳に挟んでいた写真を取り出した。それを見せられて、圭斗は泣きそうになった。
写っているのは、体育の時間だろう、大きめのジャージを着てバレーボールを持った小柄な姿。チーム分けの赤いはちまきがヘアバンドのような高さにあって、耳の後ろで蝶々結びにしてある。認めるのはかなり悔しいのだが、客観的に見れば確かにかわいい女の子。
何故こんな写真なんだ。もっと普段、そう、例えば学ラン姿とかだったら、どこからどう見ても男らしい(願望)、ごく普通の男子中学生なのに。
「やっぱ見たことないな。ごめんね役に立たなくて」
しらばっくれることに決めた圭斗は、それより、と話題を変える。
「二人ともどれぐらい伸びてたの? 身長」



5月19日。
ピピッと目覚ましが鳴る。
「みぁ……」
灰は小さな前足でそれを止めると、圭斗の胸に乗って頬を舐めた。
「――ん……」
圭斗はピクリと眉を動かしただけで、起きる気配はない。灰は両前足の肉球で主人の顔を揉み始める。仔猫故の高く細い声は、熟睡している圭斗にはいくら鳴いても届かない。
やがて、灰の小さな体は圭斗の手に包まれる。
「――おはよ、灰」
「ぅにゃんv」
窓から差し込む陽射しになかなか目を開けられない圭斗の唇をペロリと舐めると、彼は嬉しそうに笑う。
灰は体当たりするように体を擦りつけると、「おたんじょうびおめでとう」と告げた。



そういえば誕生日だったっけ。
灰に祝われて思い出す。
思い出したところで、他に「おめでとう」と言ってくれる人がいるわけではない。阿倍なら、会えれば言ってくれるだろうが。
(他に俺の誕生日知ってる人なんていないもんなぁ)
ぼんやりと考えながら学校へ向かっていると、ケータイが鳴った。今は大阪にいる杉浦潤からのメールだった。
『誕生日おめでとう! 愛してんで〜〜v』
つい、頬が緩んだ。視界の端に学校を捉え、笑いを引っ込める。
予鈴が鳴った。



放課後、圭斗は軽い足取りで家路についていた。潤が覚えていてくれたことがひどく嬉しい。
と、道の向こう側に、最近良く会う友人たちを発見する。2人で誰かを待っている様子。透夜が大きな紙袋をぶら下げている。
声をかけようかと思ったが、道路を渡るのは面倒臭い。第一、話すこともない。
ま、いっか。
「――圭斗! なに素通りしてんだよ!?」
「へ?」
誠太と透夜がこちらへやってくる。
「誰か待ってたんだろ?」
「おまえを待ってたんだよ」
「圭斗今日誕生日だったでしょ」
「え――」
「ほら。おれたちと透兄と潤から」
透夜が持っていた紙袋を圭斗に渡す。
「あ、ありがと…………重っ……」
よろけた圭斗を見かねて、透夜が再び荷物を持った。



圭斗のマンションで3人がくつろいでいると、宅配便が来た。
「ええ!?」
玄関で圭斗が奇声を上げた。せいたと透夜が覗くと、段ボール箱がいくつも置かれている。
配達の人が帰ってから伝票を見ると、送り主は『H署刑事課』。
「伯父さんか?」
透夜が呟く。刑事課の課長は透の父、透夜の伯父だ。
とりあえず付いていた封筒を開けると、メッセージカードが一枚。
『HAPPY BIRTHDAY!!
              刑事課一同』
「………………」
なぜだ。
「……そういや圭斗、いつも差し入れしてんだろ? それのお礼じゃないか?」
「あ……」
圭斗はなるほど、とうなずく。
「じゃあ開けちゃおうよ! 何送ってきたんだろうね」
誠太がはしゃぎだす。
が、すべてのダンボールを開け終わった頃にはそのテンションはかなり落ちていた。
ハロゲンヒーターに始まり、冷風扇、テレビ、2ドア冷蔵庫、MDラジカセ、炊飯器……。
「なにこれ」
「全部家電……しかもラジカセ以外は中古だな」
「たすかるなぁ……」
あきれた様子の二人に対して、圭斗は嬉しそうだ。
「おまえ今まで何食って生きてきたんだよ」
透夜が訊けば、
「カロリー○イトとか。あとおじさん行ったり透さんとこ行ったり。こないだまで自炊する気なかったから」
「だめだよ圭斗。もっと食べないと透兄みたいになれないよ」
「うん……」
「ああはなかなかなれないぞ。透兄は単にああなりやすい体質だからああなってんだし」
「いいよなあ……羨ましいよね」
「同意求められてもな……。いくらなんでもあそこまではなりたくないもん」
「おれもあれはパスだな。あれを欲しがるのは圭斗みたいな奴だけだと思う」
「俺みたいなって?」
「だから、極端なガリ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
落ち込んだ圭斗の肩を、誠太が笑いながら叩いた。
「そろそろおれたち帰るね。お誕生日おめでとうv」



「で、これをくれたのか」
阿倍が膨らませたエアベッドを叩いた。圭斗はその上に寝転がっている。抱きしめているのは灰ではなく、阿倍がくれた抱き枕。
「いっぱい祝ってもらってよかったな」
「うん……」
半分眠りながら頷く。頭を撫でてもらって気持ちよさそうに瞼を閉じ、毛布をかけられるとそのまま寝息を立て始める。
あの後透から電話があって、阿倍がやってきたのは最後だった。
せっかくの誕生日をほとんど祝えなかった阿倍は仕方なく帰ろうとした。
と、入れ違いに帰ってきた灰と出くわし、その後なぜか一時間にも及ぶバトルが勃発した。



翌朝。
新聞を取っていない圭斗が出掛けに何の気なしに郵便受けをのぞくと、差出人の記されていない封筒が入っていた。ダイレクトメールではない。
(なんだろ……)
とりあえずそれを押し込み、学校へ向かった。



「山波!」
ぼぅっと手の中のものを眺めていると、教師の声が飛んできた。
「――はい?」
「はい? じゃない! 次を訳せ」
「………」
圭斗は英語の教科書に目を落とした。――どこだ?
「8行目!」
教師がイライラした声で告げる。それで水景を受ける気か、とブツブツ言っている。
「『タロウは打ち合わせ通りメアリーにすれ違いざまにそれを渡した。彼女はそれを確認すると、役目を終えて安心しきっているタロウの背をためらいなく隠し持っていた拳銃で打ち抜いた。』」
「……よし」
教師が他の生徒に足を向けると、圭斗は再び封筒に入っていたものを見つめた。
3万円分の商品券と、メモのような短い手紙。たった一言。
手書きのその手紙は、なんだか懐かしい匂いがした。

――『君の幸せを願う』――





おまけ



『君の幸せを願う』――
ぷるぷるぷる。やっとのことで一言だけ書いた手が、緊張のあまり震える。
「いつまで固まってるの」
妻が夫に優しく言った。「名前書くの、書かないの?」
「あ、ああ……」
夫はペンを握り直した。
「ここに俺の名前を書いても……受け取ってくれるかな」
「頑張って、利雪」
「う〜ん……」
夫はギュッと眉根を寄せた。果たして息子は、自分からのプレゼントを受け取ってくれるのか? 喜んでくれるのか? ていうか商品券って夢がないよな。あああ圭斗は何が欲しいんだ? 何なら受け取ってくれる!?
「利雪! もう出さないと19日に届かないわ!」
妻は夫の手から手紙を取り上げ、それに軽くキスをして封筒に入れた。
――こうして19日の昼に届けられた手紙はしかし、翌日の朝まで気付かれることはなかった。
水の声音
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