狂気

――(憶えておけよ、圭斗)
なに、葵?
――(大事なことなんだ)
うん、わかる。
――(“力”は、人を狂わせる)





犯人の動機が、本当に岐杉朝依にあるのなら。犯人があのストーカーならば。
犯人は狂わされたのだ。――圭斗の、“力”に。
(つまりは、俺のせいで人が死んだ……)
考えたくないことだ。でもほかに思いつかない。
犯人は岐杉朝依の――山波圭斗のストーカーだ。
圭斗を襲った内島を殺して、自分の存在を圭斗に気づかせるために死体を移動させた。灰に嫉妬して、外に閉め出した。
問題は、それが誰なのか。
(たいした問題じゃない)
圭斗は心の中で吐き捨てた。犯人を見つけることなんて簡単だ。自分が餌を撒けば、必ず喰いついてくる。
では、その餌をどうするか。
犯人は、まだ誰かを狙うかもしれない。灰は安全だ。部屋に入れて鍵をかけてある。
「なにさっきからぶつぶつ言ってんの?」
「しのぶさん!」
「な、なによ」
「ひとつ、お願いがあるんですけど――」





「そろそろお昼ね……」
しのぶがつぶやいた。
「ねえ、圭斗チャン」
「はい?」
「わたしに囮頼んどいて、こんなに待たせるなんて失礼じゃない?」
「そんなこと俺に言われても……」
「暇なのよ、つまんないのよ、圭斗ちゃん! なんか芸とかないの!?」「そ、そんな……バク宙とか?」
「せめて天井まで跳んでね」
「無理ですって……」
言いながら、圭斗は跳び上がった。とんっ――
どんっ(「はうっ」)、どさっ(「うげっ」)……
「うぅっ……い、痛い……」
天井に打ちつけた腹と、床に叩きつけられた背中と腰を押さえて、圭斗は悶えた。
「バカ正直にやんなくてもいいのに」
「い、いや、こんなつもりじゃ……」
あんなに跳ぶなんて、おかしい。これは――
(まずい……)
もしかすると、“力”が暴走しかけているのかもしれない。灰のことは、それほど頭に来ている。
圭斗は頭を振った。
(だから、さっきも大丈夫だって言ったろ!?)
自分に言い聞かせる。(あんなに特訓したじゃないか。落ち着いていれば“力”なんて簡単にコントロールできる……!)
でも、いざとなったとき、止めてくれる人のいないことは不安だ。頭の中で、別の声が囁く。――犯人探しはやめといたほうがいいんじゃないか?もし怒りで“力”が暴走したら、何人も死ぬことになる。おまえの大事な灰や、とおるおにいちゃんも――
「“力”の悩みなんて」
しのぶが、圭斗の心を見透かしたかのように言う。「そんなもの、坂河だって抱えてたじゃない。まあ、自分の心配をしてたのかどうかはわからないけど」
「……葵は、なんでも本人の代わりに心配するから」
「そうね。“力”のことでは、かつみ克魅のにーさんの方でいろいろ考えてたみたいだし」
「克魅の?」
彼は、あんなに自在に力を使っていたのに? 圭斗のほうが、まだ安心できる、と?
便利で不便で、持っている本人にさえ理解できない“力”。
「なんだ……そっか。じゃあ俺、そんなに心配しなくていいのかな」
「それでさ、圭斗ちゃん」
「はい?」
「思ったんだけど、さっきの話じゃ、わたしよりも根岸さんのほうが狙われるんじゃないの?」
しのぶの言葉に圭斗は一瞬きょとんとして、「あはは、まっさかぁ」と、寝転んだまま笑い飛ばした。
「あんなムキムキの人なんて狙う人いませんよ。返り討ちに遭うだけですって」
「そう? そうね、犯人が丸腰か、凶器の扱いがよっぽど下手か、だった場合はね」
「それじゃ透さんが弱いみたいじゃないですか」
「……あのね、圭斗チャン。どうも勘違いしてるみたいだから言うけど、普通の人間は武器なんて携帯してないのよ。もちろん、非番の刑事もね」
「え!?」
「驚くところじゃないのよ」
「え、えっと、じゃあ……いい感じの天気ですね」
「中途半端な誤魔化し方しないの」
「……。あっ」
圭斗はハッと起き上がった。
「透さんが危ない!?」
「そうなんじゃない?」
圭斗はしのぶの部屋を飛び出していった。
「……でもわたしが狙われる可能性がなくなったわけじゃないんだけど」
まったく、目の前のことしか見ないんだから。





「ああ、春日さん。圭斗知りません?」
昼食のために食堂へ降りて来たしのぶに、透が聞いた。
「圭斗ちゃんなら根岸さんを探してるはずだけど?」
「そうらしいんですけど、さっきからどうもすれ違ってるみたいで」
「じゃあこの辺でじっとすれば」
「あ、そうか。すいません」
謝る必要などないのにそう言って、透は照れたように頭を掻いた。しのぶと向かい合って座る。
「どうも圭斗のことになると焦っちゃうんだよなあ。小さい頃を知ってるせいか、危なっかしく思えてしかたなくて」
「そうよねえ。表面だけ見てればそう思うのも仕方ないわ」
でも、と しのぶ は笑った。
「案外たくましいのよね。ま、強くてムッキムキの人にはわかんないでしょうけど」
「……おれのこと嫌いですか」
とんでもない。しのぶは答える。透はため息をついた。
「――あ、いた」
しのぶが窓の外を指差した。
「うぅわ、あのばか」
透を探していたはずだ。何故外に居ると思うのか。
透は窓を開けて「圭斗」と怒鳴った。相変わらずの吹雪の中でも、その声はちゃんと圭斗に届き、彼は振り返った。こちらに大きく手を振ってから歩き出す。
が、透が安堵したのもつかの間、圭斗は雪に足を取られてうつぶせに転んだ。
圭斗の上に雪が積もっていく。なかなか起き上がらない。もしや、失神でもしてしまったのか、と思い始めた頃、ようやく身を起こした。ブルブルッと、犬のように頭を振って雪を払う。今度は転ばないようにと、慎重に歩き始めた。
ぼすっ。……ぼすっ。……ぼすっ。――
じれったい。
透は玄関に走った。靴を引っ掛け外に出ると、圭斗めがけて突進する。
「あれ、透さん――わっ」
圭斗を担ぎ上げて引き返す。「透さん、お迎えならもう少し丁寧にしてください……」
玄関の前に、誰かが立っていた。
近づいていくうちに、それが誰なのかわかってくる。透は彼に声をかけた。
「佐東さん。どうしたんですか、そんなところで、」
寒くないんですか、と訊こうとしたが、憎悪の目で睨みつけられていることに気づくと言葉を飲み込んだ。
嫌な予感がして、透は圭斗を降ろした。圭斗は何も言わず、透を見上げる。
透は圭斗に微笑むと、佐東に視線を戻した。
「佐東さん――」
「朝依!」
佐東が叫んだ。圭斗が、佐東を睨みつけた。
――なにごとだ?
透がまた圭斗を見て、佐東に目を戻した時、その男はもう、すぐ目の前にいた。その手にナイフが握られているのを認識したのより、身をかわす方が一瞬速かった。刃が空を切る音がした。
「ちょっ……佐東さん!? 一体何を――」
言ってから、透はようやく気づいた。
この人が、犯人だ。
「どうして――」
尋ねようとした瞬間、圭斗が腕にしがみついてきた。
怖いのか、と思ったが、そうではなかった。圭斗は透の腕を引き、自分の後ろへ押しやった。透と佐東の間に立ち塞がる恰好になる。
「朝依」
佐東の顔は喜びに輝いていた。「さあ。早くこっちへ。そんな男から、早く離れるんだ。護ってあげる、おれが!」
「アンタが、犯人?」
冷え冷えするような、圭斗の声だ。
佐東は目を見開き、その姿を脳裏に焼き付けようとするかのように圭斗を見つめていた。それが、一瞬戸惑うように色を失った。
「犯人? ――ああ――ああ、そうだよ、朝依。おれがやったんだ。全部君のためだ。わかるだろう? 君を愛しているんだ。君もそうだろう? おれを愛しているだろう? さあ、はやく、おれと一緒に――」
「灰を閉め出したのも?」
「もちろんさ! あの化け猫、自分の立場もわきまえず、もう三年も君にまとわりついて! ああ、もう、ちゃんと死んでくれたかな」
「おい、圭斗――」
透が声をかけたのは、圭斗が佐東のほうへ歩き出したからだ。危ない、と言おうとして、実はそんなこと思っていないことに気づいて、動揺する。――圭斗は、大丈夫だ。なんとなく。
いつの間にか、雪がやんでいた。
「あんた、なんだっけ? スズキサン? まあいいや。で? 灰をあんな目に遭わせて、今、透さんにまで手出そうとした? …………俺のためだと? フザケンナヨ?」
佐東の目と鼻の先まで来た圭斗は、あっさりとナイフを奪い取った。無表情に、前方に投げつける。それは、佐東の頬を掠めて玄関のドアに突き刺さった。狙いどおりに。
「――――――覚悟は、出来てんだろうな?」




信じられない。あれが、圭斗か?
透の知る圭斗は、ちっちゃくてかわいくて、つい力いっぱい抱きしめたくなる、でもそうするとあっけなく壊れてしまいそうな、そんな弱くてはかない存在であったのに。護ってやらなければならない存在、誰かに傷つけられることはあっても、誰かを傷つけることなど天地がひっくり返ってもありえない。それが圭斗だ。そうだったはずだ。――違ったのか、圭斗?
今、透の目の前で圭斗は、一方的に佐東を痛めつけている。
抵抗しようともしない佐東の顔面を情け容赦なく殴りつけ、倒れれば躊躇いもなく股間を蹴り上げ、踏みつける。
「――ざけんなよ、テメエ。灰に謝れ。土下座して詫びろ。自分でサオとタマ切り落として、一生悔いろ」
佐東はとっくに意識を手放していて、聞こえていない。
「圭斗……」
これが仮にも自分を好きだという相手にする仕打ちだろうか。第一、あんなに蹴り続けていたら、切り落とすまでもなく使い物にならなくなるのではないか。
同じ男として見ていられなくなった透は、圭斗の肩を摑んで止めた。
「透さん……」
圭斗は振り返って透を見上げた。にっこりと作り笑いを浮かべ、「さ、どうぞ、透さんも」
「違うッ。――やりすぎだ。後は警察に任せよう。警察が来るまでは、」
「閉め出してサバイバル生き残りですね」
「違うって。どっかの部屋に閉じ込めておくんだよ。それで安心、だろ?」
圭斗は少々不満気に頷いた。
「じゃあ、中入るか」
透は意識のない佐東を担ぎ上げた。
――右肩に、強い衝撃を受けた。
「透さんっ!」
圭斗の悲鳴じみた声が聞こえる。
二、三歩よろめいた透の足元で、雪が崩れた。思わず佐東を放り出す。圭斗が腰にしがみついた。落ちていく透を引き戻そうとしたのだろうが、体重が違いすぎた。
そのまま、透は圭斗もろとも落ちていった。

花屋のにーさんの孤独な闘い

しかし。
呼び鈴を鳴らしても、誰も出てこない。ドアを叩いてみる。大声で呼んでみる。誰も出てこない。ドアノブに手をかける。当然鍵はかかっていた。だが、中に人の気配はあるのだ。
と、カチャカチャと音がし始める。数秒後に、扉が開いた。開けたのは、女の子。背伸びをしてドアノブを握っている彼女は、彼のよく知っている子だった。
「……なんでおまえがここに居る?」
「圭斗……」
彼女は珍しいことに、涙を浮かべて彼を見上げた。
「圭斗どこぉっ?」
「ぁあ?」
いつものことだが、彼はこのガキと会話をする気はない。「あーハイハイ、良かったな。いいからどけ」
彼は、とりあえずドアの開いている部屋へ向かった。
「すいません、隣の濱野の使いの者ですが――」
そして――
矢が飛んできた。
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