閉じ込められた客たち

(3月28日。朝)
圭斗は腕を突っぱねて透から離れた。
「圭斗……?」
「俺に……かまわないでください……っ」
掠れた声で言うと、おぼつかない足取りで、走るように食堂を出て行った。
「おれじゃぱぱの代わりにならないってことかよ……」
「吹雪いてきましたねぇ」
「ぅわっ!?」
いきなり耳元で声がして、仰天して飛び上がる。振り返って見れば、このペンションのオーナー、緑山だ。
「び、びっくりした……」いつからそこに……?
「うち、安いでしょう? 実はこのくらいの雪になるとこの辺、閉じ込められちゃうんですよ。ある意味遭難ですよね」
「へえ、そうな――ええっ!?」
「でもまあ大丈夫ですよ。食料はたくさんありますから。ご安心ください」
「……そういう問題じゃないと思いますけど」
透はつぶやいてため息をついた。






昼過ぎになると、吹雪はいよいよ本格的なものになってきた。車は雪で埋もれ、余程のことが無くては(いや、あってもだが)外には出たくない。出たとしても山のふもとまで辿り着けないだろう。もし、こんなときに急病人でも出たら。透の目から見て、一番心配なのは圭斗。今だってあれでは半病人だ。
今このペンションにいて透とまだ顔をあわせていないのは佐東という男と水上のり子、春日しのぶ。彼らはこの事態に気づいているのだろうか。
二階から、うわあっ、と悲鳴が上がった。何事かと駆けつけると、廊下に男がへたり込んでいる。佐東だ。圭斗以外の客が、なんだなんだと部屋から顔を出している。
「どうかなさいましたか」
透の後ろから緑山がのんびりとやってきた。
「で、出た……」
佐東は青褪めて口をパクパクさせていた。
「出た? 何がよ」
春日しのぶが冷たく言った。「こんな真っ昼間に幽霊でも出たっての? 坂河じゃあるまいし、なにをバカな……」
「ちがう! 化け猫だ!」
佐東は声をひっくり返して叫んだ。「白いワンピースを着た女の子が小さい猫に化けたんだ! 早く始末してくれ!」
なにバカなこと言ってんの、と水上のり子が部屋に戻っていく。本当なんだ! 信じてくれと、佐東が懇願するが、誰も相手にしない。廊下には佐東と、なんとなくそこを立ち去り損ねた透が残った。
「本当なんだ。そこのぁ――そこの部屋に入っていったんだ……」
「圭斗の部屋に?」
佐東がぶつぶつ言いながら部屋に戻ると、透は圭斗の部屋の戸を開けた――鍵はかかっていたが、阿倍から鍵を預かっている――。
部屋は明かりが点いていなくて、暗かった。
「圭斗?――寝てんのか?」
起きてはいたようだ。薄暗い中、ベッドで起き上がる気配がした。
「なんですか……」
寝ぼけた声だ。
「ああ、いや……」
透は言葉を濁した。ドアには鍵がかかっていたのだから、ここに猫なんかが入り込めたはずがない。
「いいんだ、もう。なんでもない。――それよりさ、圭斗」
明かりをつけてベッドに腰を下ろす。「おれのことさ、昔みたく『とゆに』って呼んでいいからな」
圭斗が顔をしかめた。
「そんな風になんか、呼んでません」
力なく、しかしむっとしたように言った。
「いや、呼んでた」
「呼んでませんっ」
「じゃあどう呼んでたって言うんだよ」
「俺はちゃんと、『とおるおにいちゃん』って――そりゃ、言えてなかったかもしれないけど……」
自分が舌っ足らずだったことは認めているらしい。透が思わず吹き出すと、圭斗は顔を赤くしてプイと横を向いた。
「なあ、圭斗」
少し間をおいてから、透は神妙な口調で言った。そうでなかったら圭斗は無視していただろう。こちらを向く。
「おれ、もしかしておまえに嫌われてる?」
圭斗は泣き出しそうになる顔を、無理やり怒ったように歪ませた。
「なんですか、それ。うそついたくせに、――約束、破ったくせに、なにをいまさら……。嫌われてるか、だって? そんなのあたりまえじゃないですか!」
見開いて我慢していた瞳から、とうとう涙がこぼれた。
「ああ……ええと――」
透は頭を掻いた。「約束って、なんのことだっけ……?」
枕が飛んできて、顔面に当たった。本日二度目だ。
「あんたなんか嫌いだ! どっかいけ、ばかぁ!!」
「けい――」
透はどう謝っていいのやらわからないまま、なんとかなだめようと圭斗の肩を抱こうとした。しかし指先が触れただけで、圭斗は怯えて身を縮めてしまう。全身を震わせながら、いやいやをするように頭を振っている。
これではだめだ。落ち着くまで待たなければ、話もできない。
「ごめんな、圭斗……」
透は圭斗に頭から毛布をかけて、部屋を出た。





泣かせてしまった……。
自室で、透は頭を悩ませていた。―― 約束って、なんのことだ?
まったくわからないわけではない。昔なにか約束をしたような記憶はある。すごく当たり前で、簡単だと思っていた記憶。しかし内容が思い出せない。当たり前で、簡単なのにもかかわらず果たせなかったこと……。
「う〜〜〜〜〜んん」
とにかく、圭斗が落ち着いてからもう一度話をしてなんとか思い出すことにしよう。それまでは、自分の不誠実さを反省しておかなければ。
あ〜あ。ほんとに頭悪い、おれ。ここで会うまで圭斗のことすっきり忘れていたなんて。
「おまえなら、ちゃんと覚えてたんだろうな……」
なあ、海。
透はベッドに寝転がって目を閉じた。圭斗を忘れていたのはそれまで、ほかのことを考える余裕などなかったからだ。長谷川海のことで、頭がいっぱいだった。
携帯電話が鳴った。阿倍だった。
「もしもし阿倍さんあんた何考えてんですか本当に!?」
『そう怒鳴るなようるさいな……』
「うるさいって……っ」
『疲れてんだ、勘弁してくれよ。それより、圭斗の様子はどうだ。俺がいなくなって落ち込んだり泣いたりしてないか?』
透は相手に顔が見えないのをいいことに、にやりと笑った。
「い〜え〜、まったく。まあそりゃあ、驚きはしてましたけどね。なんか、かえって清々したような顔してましたよ」
『そうか……』
がっかりしたような声が返ってくる。圭斗がかわいくて仕方のない阿倍は、やはり圭斗にも必要とされたいのだ。しかし期待する返事は返ってこない。
(ざまあみろだ)
透はこっそり舌を出した。
数秒の沈黙の後、阿倍は気を取り直したように、
『圭斗に無理させるなよ。病み上がり――怪我だけど――なんだから』
「え――ケガ!?」
『いま、心も体も弱りきってるから、……乱暴なことするなよ』
そういうことは先に行ってくれ。言いたいのをぐっとこらえ、透はあいまいに言葉を濁した。もう泣かせてしまった、だなんてとても言えない。
『ああ、それから、圭斗ももうそろそろ気づくと思うが、あのバカ娘にエサをやっておいてくれないか』
「バカ娘?」
『それじゃあまたな、頼んだぞ』
「あ、ちょっと――」
しかし、電話はもう切れてしまっていた。

花屋のにーさんの孤独な闘い

(3月28日。夜)
それから一時間。今度こそ、本当に。
「濱野タカ子様ですね!?」
「は、はい……」
老婦人は彼の勢いに気圧(けお)されるように頷いた。
「お花のお届けものです。はんこお願いします」
やっぱり帰ろう。こんな縁起の悪いところ、もう一秒だっていたくない。
「それじゃ、確かにお届けしました。毎度ありがとうございました」
帰ったらまず風呂だ。アパートのじゃ狭いからあっちの――
「ちょっと待っていただけます?」
バイクにまたがろうとした彼を、濱野タカ子が引き止めた。
「はい……?」
嫌な予感がした。
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