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想い
圭斗。
圭斗。ねえ、きこえないの? ぼくのこえがきこえなくなったの?
なかないでよ。ぼくがまもってあげるから。だからまたわらって。ぼくが圭斗をまもるから。だからおねがい、ぼくをまた ぎゅう ってして。
ぼくがまもってあげるから。ぼくが あおい からまもるから。
ぼくのこえをきいて。圭斗。
じゃないと、おこるからね。
いま、殺せと言ったのか?
あいつと同じように、おれに殺してくれといったのか?
殺してくれと?――死にたい?
――――――
違う。あいつは、海は、死にたくないと言ったんだ。だけどどうしようもなくて、だから。だからおれに、自分を殺してくれと、頼んだんだ。
どうしようもなくて。
圭斗が、真剣にこちらを見つめている。
自分を殺す勇気がなかった。
大切なものを奪ったやつが赦(ゆる)せなかった。絶対に赦せなかったから、俺はそいつを殺せると思っていた。
でもできなかった。そいつが俺自身だったから、とは考えたくなかった。わが身を惜しいと思ったことはこれまでになかった。自分だけ、なんてぜんぜん大切じゃない。誰も認めてくれないのなら、生きている意味がない。
だって、誰もいない世界になんて生きていたくない。大切な人がすべて敵になった世界でなんか、生きていたくない。
死ぬべきだったのはあの人ではなく、俺だ。
あの人を殺したのは俺。
あの人を殺したやつを赦せないのも、俺。
だから俺が、自分を殺せれば一番良かったのに。
――どうして、ためらっているのだろう……。
「圭斗、おれは」
透はベッドから離れ、じゅうたんの上に胡坐をかいた。
「おれはおまえが大事だから、手放す気はないよ」
「……どういう意味ですか」
「どういうもなにも」
透は呆れたように言った。
「大事な幼なじみだろ。おれは自分の大切なものはなにがあっても守るって決めてるんだ。――なにをしても。それを奪おうとするやつがいるなら、そいつを殺してでも」
その途端、透の視界が上を向いた。仰向けに倒された、と理解したときには、圭斗が胸の上にいた。彼の右手に握られた小さなナイフが、透の喉元に押し付けられている。
「……一番大切なものは、ご自分の生命ですよね。自分が死んだら、守るもなにもないんだし」
照明で逆光になって、圭斗の表情は見えない。
「俺を殺さないのなら、あんたは今死ぬ」
だから殺せっていうのか。
「おまえはそんなことできないよ」
おれも、そんなことできないし。
「できますよ。――今までだって」
オレは、何人も殺した……。
つぶやくように、圭斗は言った。
透は目を閉じた。ナイフを持った圭斗の手を握りしめる。
「できるなら、やればいい。おまえに殺されるなら、仕方ないと思う。だっておれが破った約束は、それだけ大事なものだったんだろう?」
「なに…………っ」
切れて血が滲んだ皮膚に動揺したのか、圭斗の声が揺れた。透はさらに強く、刃を自分の喉へ――
圭斗の唇から悲鳴が洩れた。透の手を振り払う。ナイフが落ちた。
透は、目を閉じたままでいた。
ピクリともしない透の顔を、圭斗は蒼い顔で覗き込んだ。
「とぉる、おにいちゃん……?」
小さく揺さぶってみても変わらない。喉元から流れる血が圭斗の手についた。
「あ……っ」
圭斗は両手で透の傷口を押さえた。
「や、だ……とぉるおにいちゃん――っ!」
見開いた瞳から、涙が零れた。
おれが死んだら、こいつはどんな顔をするのだろう。
そんないたずらめいた思いに駆られて死んだ振りをしていた透の上に、唐突に何かが乗っかった。圭斗の涙らしきものを頬に感じた直後だ。
目を開けると、白いワンピースを着た小さな後姿が圭斗を抱きしめている。
「なかないで圭斗。どうしてなくの? ぼくがいればいいでしょ。ねえ、圭斗!」
「さ、さすがに二人は重いんだけど……」そして誰!?
透が呻くと、灰色の細い髪の毛を振って少女がこちらを向いた。6、7歳くらいのかわいい顔で、おもいきり睨みつけてくる。
客の中にはいなかったはずだ。
(あれ、この子もしかして、佐東さんが見た“化け猫”……?)
「……灰、ちょっとどいて――」
少女が透の上から降りると、圭斗のやけに冷たい目に出くわした。
「お――?」
「…………」
圭斗が血のついたままの右手を振り上げた。
スパーン、と小気味いい音がして、透の目の前を星が飛んだ。
これでよかったのだろうか……
「いやぁ……わりかし元気だよな、おまえ。にーちゃんは安心したよ。なかなかいい一発だった」
ひりひりする頬を押さえて、透は笑って見せた。圭斗はこちらに背を向けて少女を抱きながら、まだ怒っている。
「悪かったよ」
透は圭斗の小さな頭に自分の大きな手を載せた。
「ちょっとやりすぎた。ごめんな」
圭斗は答えない。興奮冷めやらぬ様子で膝の上の少女の髪をいじっている。
「圭斗ぉ、あんまりおこってるとはなぢでちゃうよ」
「出ないよっ! こんなむさくるしい男のせいでなんて出してたまるか!!」
しかし圭斗の顔は本当に鼻血を噴いてもおかしくないほどに紅潮している。その目には怒りのために涙まで浮かべて。
「もうしないからさ、機嫌直せよ、な? あ、そうそう、さっきちょっと厄介なことが起こってさ。悪いけど、急いでメシ食って食堂に――あ、もう冷めてるな。待ってろ、温め直してくる」
透はお盆を持って圭斗の部屋を出た。
もうあんまり、圭斗の心配はしなくても大丈夫だよな。
「みぁ……」
圭斗の膝の上で、灰色の毛並みを持った仔猫が彼の腹に頭を擦りつけた。その頭を指の腹で軽く撫でながら、圭斗はふっと息を吐いた。
「どうしよっか、灰? あの人、あんなこといってたけど、今すぐ信用しちゃってもいいのかな? 単純そうだから、嘘もつかないよね……」
灰と呼ばれた仔猫は「ニャア」とひとつ鳴いて彼の頬を舐めた。圭斗がくすぐったそうに少し笑う。そして――「あれ?」灰を自分の目の高さまで持ち上げる。
「灰? なんでここにいるの? ハリィハックにいるはずじゃ……」
「ニャー」
灰は人間がするように首を横に振って否定した。その瞳で、主人をじっと見つめる。圭斗の眼がまた潤んだ。
「……ごめんね、灰。もうおいてったりしないからね。大好きだよ……」
灰を胸にそっと抱く。灰はもう一度鳴いて、圭斗の頬に頭を擦りつけた。
「でも灰、どうやってここに来たの? ――まさかここまで飛んで!? すごい……」
「ニャ……」
彼が阿倍の置いていった荷物の中にケージとキャットフード、猫砂を見つけるのはもう少し後のことだった。
「やっぱり食べなかったの?」
手つかずの料理を持って戻ってきた透に、しのぶが声をかけた。「やっぱり坂河じゃないと――」
「違いますよ」
透は少しむっとして「話し込んでて冷めたメシを温め直しに来ただけです。誰ですか、坂河って」
「ふうん。まあどっちでもいいけど。じゃ、あの子は無事だったってわけね」
「無事って?」
「いまここにいないの、つまり一人でいるのはあの子だけじゃない。もし内島さんを殺したのが外からの侵入者だったら、危ないのは――」
透が派手な音を立てて盆を取り落とした。
「連れてきますッ」
透はドドドッと足音を響かせ圭斗の部屋に駆け戻った。
バンッ。
壁に叩きつけるようにドアを開ける。
圭斗はベッドの上に丸くなって横たわっていた。
「圭斗っ? どうした、大丈夫か!?」
血相を変えて抱き起こすが、聞こえてきたのは安らかな寝息。
「なんだ……。びっくりさせるなよ」
ベッドに戻した圭斗の頭を軽く小突く。それで起きると思ったのに、彼が目を醒ます様子はない。
圭斗の右腕が動いた。見ると小さな猫が圭斗のそばに寄り添っている。
「あ、あれ、さっきの女の子は……?」
「ニャー」
佐東の青ざめた顔を思い出す。
「ま、まさか本当に化け猫……?」
「ニャン」
不本意そうな鳴き声に聞こえた。
(そういえば、いまこいつ薬無しで寝てんだよな)
透は毛布で圭斗をくるみ、起こさないようにそっと抱き上げて食堂に下りていった。
「どうしたのよ?」
食堂から続き部屋になっている談話室のソファに寝かせた圭斗の顔を覗き込んで、しのぶが訊いた。
「眠っちゃってたんですよ。でも一人にしとくわけにもいかないでしょう。うん、いや心配でおれが平静でいられない……」
「なあ、いつまでここに集まってなきゃなんないわけ?」
と、大橋。「警察が来るのはだいぶ後なんだろ? それまでこの部屋でずっと他人と顔つき合わせてろってのかよ。冗談じゃないね」
「いや、それは……」
透はどうしていいのかわからない。
「いいんじゃない? いまのところ連続殺人ってわけじゃないんだし、曲がりなりにも刑事がここにいるんだから、そうそう変なことは起こらないわよ」
と、しのぶ。
「それも……そうですかね」
透はその言葉に納得し、「じゃあ、あの、部屋の戻っていただいて結構です。ああでも、何かあったらすぐにおれに言ってくださいね。なるべく、ここにいると思いますから」
「ふん、頼りになんのかね……」
言い捨てて大橋が出て行くと、ほかの客も三々五々自分の部屋へ引き上げていき、結局その場には透と、熟睡している圭斗だけが残った。
花屋のにーさんの孤独な闘い
「どうぞ、何なりとお役立てください」
などと、つい口を滑らせてしまったのが運のつき。屋根の雪下ろしに始まり風呂掃除、夕食のしたく、片付け、その他もろもろ……。
「俺はお手伝いさんじゃないんだぞ!?」
――なんて言えないし。相手は年寄りだ。そんなことを言って心臓でも止められたら、ものすごく厄介じゃないか。
自分を番犬ぐらいに思って欲しい彼だった。