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証拠
食堂に現れた緑山から圭斗が薬箱を借りたところに、透が青い顔をして戻ってきた。
「お帰りなさい、透さん」
圭斗が薬箱を手に透に駆け寄る。
「おう、ただいま。……なんだ?」
「手当てするの忘れてて」
と、透の首に触れる。
「ああ、これか。いいよ、たいしたことないから。もう乾いてるし」
「でも……」
自分がつけた傷だと、気にしているのだ。透が笑って「じゃあ消毒だけしてもらおうかな」と言うと、圭斗はほっとしたように頷いた。
「……おまえに、言うの忘れてたんだけどさ」
「はい?」
消毒を終えて薬箱を閉じた圭斗が透を見上げる。
「昨日の夜、内島さんが殺されてたんだ」
「……え?」
意味がわからなかったのか、圭斗はまばた瞬きをひとつしただけだった。
「殺された? ……内島さん、て?」
「おまえを襲った人」
「………………ああ」
内島が誰なのか知らなかったのはともかく、一昨日の出来事も忘れていたようだ。透は呆れてしまう。あれは圭斗にとってたいしたことじゃないのか?
圭斗は納得したように言った。
「じゃあ、つまりあれは、本物の死体だったんですね」
「ああ」
しかし、なぜ内島の遺体は圭斗の部屋に移動していたのだろう……?
誰が何のために、あんなことをしたんだ?
「動機なら、心当たりがあるわ、わたし」
談話室で考え込んでいた透に、しのぶが声をかけた。
「動機?」
「そう。犯人が内島さんを殺した動機と、その遺体を圭斗ちゃんの部屋に運んだ動機」
「それって――」
「わたしの想像でしかないんだけどね」
「しのぶさん」
圭斗が唸るように彼女の言葉を止めた。
「なによ。知ってんのよ、わたし。坂河から聞いたんだから。困ってたんでしょ」
「そのこととは関係ないじゃないですか」
「関係あるじゃない。あんたストー――」
「ナーォッ」
灰がしのぶの顔面に体当たりをかました。
「きゃあっ!? なにすんのよ、このバカ娘!」
「すいません、しのぶさん」
頭を下げた後圭斗はこっそりと、「よくやった、灰」と愛猫の頭を撫でていた。
「話が見えないんだけど……」
透が口を挟んだ。しのぶが何か言おうとすると、圭斗と灰が睨む。
「……じゃあね、ヒント。帰る前には返してね」
透が渡されたのは、「穢レ知ル」という題のついたDVDだった。
「あっ……」
圭斗が悔しそうな声を出した。
「ふ」
しのぶは勝ち誇ったように笑い、談話室を出て行った。
「圭斗、なんか知ってんのか?」
透が圭斗の顔を覗き込む。
「え、ええっと……」
「けぇとv」
いつの間にか人型になった灰が圭斗に抱きついた。
「ぼくね、圭斗が……あいすたべたい」
「アイス? この辺コンビにあったっけ」
「ないぞ。外にも出らんないぞ」
早速灰の手を引いて出かけていきそうな圭斗を透があわてて引き止める。
「そうなんですか? ……うわ、すごい雪!」
窓の外を見ていまさら目を輝かせる圭斗。「ゆ、雪だるま……」
「おい! この吹雪の中そんなもん作る気か!?」
「……だめ?」
「だめ!」
「透さんのケチぃ」
「けちー」
灰が圭斗のまねをして言う。透はため息をついて立ち上がる。
「圭斗、おれあの部屋調べてくるから、飯になったら先に食ってていいぞ」
「あ、俺も行きます」
圭斗も腰を浮かした。
「あのなあ……あんなの、子供の見るもんじゃない」
「一人より二人のほうが多く物を見つけられるんですよ。それに、後で警察の人が来たときに、透さんが妙なことしてないって証人になれるでしょう?」
「…………」
「それに……」
「それに?」
「……俺を一人にするのは心配だって言ったじゃないですか」
拗ねたようにそっぽを向いて、圭斗はつぶやいた。透は吹き出しそうになるのを必死でこらえ、
「わかったよ、一緒に行こう」
と、肩を震わせながら言った。しかし、仕草にしても容姿にしても、本当にかわいい、こいつ。こんな中三男子がほかにいるか?
額を割られ、腹を刺されて死んだ男。緑山に借りたカメラで写真を撮ってからその死体に触れないように、透と圭斗は部屋の中を調べた。
見つかったのは、一ページにつき縦に三枚、見開きで六枚ずつ収納できるアルバム一冊。もちろん、圭斗のものでも阿倍のものでもない。おそらく、犯人のもの。落としていったのか、それとも何か理由があってわざと置いていったのか……?
「なんで、わざわざこの部屋に死体を運んだんだ?」
知らないうちに、声に出ていたらしい。「それ、俺に訊いてます?」と、圭斗が眉をしかめる。
「知りませんよ、そんなの。でも、運んだ人はよっぽど、なにか都合の悪いことがあったんでしょうね」
「そうだろうな。運んだ人の都合が――運んだ人の都合?」
そうか。もしかすると、内島さんを殺した人と、その遺体を運んだ人は、同一ではないのかもしれない……。
透がその考えを圭斗に言ってみると、彼は感心したように透を見、
「透さんて、見かけによらず頭いいんですね」
どういう意味だ、それは?
「それで、どうなるんです?」
「さあ――」
その先? 透は首をひねるしかない。
「……こういうときは、どこからともなく名探偵が現れるはずなんだけどな」
と、圭斗が真剣な表情でつぶやいた。「困ったな。探偵がいない場合、これは連続殺人で、警察が来たときには一人残らず冷たくなっている……ってパターンですよね」
「怖いこと言うなよ。小説の読みすぎだ」
「あ、やっぱり小説に多いんですかね。俺はゲームでそういうのやっただけだけど」
そのゲームとシチュエーションそっくりだ、と圭斗が言う。そのゲームには透も心当たりがあったが、今はそれよりもこのアルバムだ。犯人のものなら指紋が残っていてもおかしくない。警察が来られるようになるまでしっかり保管しておかなくては。
「なにそれ。アルバム?」
ドアのところからひょっこりとのり子が顔を出した。それが犯人のものと知ると、見せてくれとしつこくせがんだ。
「そういえばまだ中見てなかったな……」
というわけで、透とのり子は二人でアルバムを覗き込んだ。
ほとんどの写真に、同じ人物が写っている。黒髪の、性別のはっきりしない中学生か小学生。大きな瞳がキラキラ輝いてとても愛らしいその顔は、カメラとは違う方に向けられている。
「盗撮……」
透は唸った。これだけの枚数だ、撮られた本人も怪しい人物に気づいているのではないか。この被害者に話を聞けば、案外あっさりと犯人が特定できるかもしれない。ただしそのためには、まずこの子を見つけなければならない。しかし、どこかで見たことあるような……
「岐杉朝依……?」
「え?」
のり子がつぶやくと、圭斗が振り返った。彼女は独り言のように続ける。
「これ、モデルの岐杉朝依だと思う。ちょっと違う気もするけど、仕事とプライベートじゃ、そりゃ感じも変わるだろうし……」
「水上さん、その岐杉朝依って有名なんですか?」
と、透。
「そんなに有名ではないと思うわ。そんなにしょっちゅう見るわけでもないから。反応した山波くんは知ってるみたいだけど」
と、のり子は圭斗を指差す。
「そうなのか、圭斗?」
「え、はあ、まあ……」
突然話を振られ、圭斗は居心地悪そうに肩を揺すった。
惜しい、とのり子が指を鳴らした。
「あたし、岐杉朝依が出てるDVD持ってるのよ、ほかの出演者――鎖河冬緒っていうんだけどね――のファンだから。こんなことなら持って来ればよかった」
「映画かなんかですか」
「そう、某女監督の自費制作映画で、市販されてないから、あんまり出回ってないんだけどね。そうだ、刑事さん。お勧めだから今度うちに見に来てよ」
「え!?」
腕にすがりつかれて、透はうろたえた。
「透さんのえっち……」
圭斗がぼそりと言った。「灰、あの人に近づいちゃだめだよ。危ないから」
「ニャア」
「危ないとはなんだッ」
一瞬頭をよぎった考えを見透かされたような気がした透は照れ隠しに圭斗の頭を乱暴に抱え込み、拳骨でグリグリやった。
「いったーい! はなしてえっ」
悲鳴を上げる圭斗を、「まったく……」と言いながら許してやる。
「でも結局、そんなこと何の手がかりにも――、……? 水上さん、もしかしてそのDVD、『穢レ知ル』っていうタイトルですか?」
「あら知ってるの? 好きねぇ」
のり子は意味あり気に笑った。
「本当に観るつもりですか」
もう何度目か、圭斗が言った。のり子と別れた二人はしのぶから借りたDVDを観るべく、緑山から借りたプレーヤーを携えて透の部屋に戻ってきている。
「なんだよさっきから。いいだろ別に。暇だし、もしかしたらなんかの手がかりが見つかるかもしれないし」
「でも……」
「観たくないんなら観なきゃいいだろ。緑山さんに言って新しい部屋用意してもらえ。鍵かけて閉じこもってるぶんには安心だし」
「う〜〜〜……」
「何がそんなにいやなんだよ? おれに見せたくないわけ理由でもあるのか?」
圭斗の頬がカァッと赤くなった。
「チクショウ……」
「変なやつだな……」
透が首をひねりながら再生ボタンを押すと、圭斗はむすっとしてベッドの上で膝を抱えた。
――それは、一人の悪魔と二人の天使の物語だった。
悪魔が天使に虐げられている世界。稀少な中性体の悪魔「ナクイ」は、天使の王に囚われ、生体実験と虐待を受けていた。やがてナクイは、彼女の村を滅ぼした二人の天使――王に囲われていた蒼髪の「粋(すい)」と、飛ぶことのできない「風己(ふき)」――と共に城から脱走し、逃亡の旅が始まる……。
「ナクイ」が岐杉朝依だ。それにしても、
(エロイ内容だな、なんか……)
途中まで観たところで、透は息を吐いた。
「圭斗、おまえどう思――」
意見を聞こうと振り返ると、圭斗はすっかり眠り込んでいた。
「しょうがないな……」
毛布をかけてやろうとして何気なく圭斗の寝顔を見た透は、気づいた。
岐杉朝依。
見たことがあると思うはずだ。圭斗とそっくりなのだから。
「まさか……」
これが、動機……?
犯人は圭斗を、愛する岐杉朝依だと思い込んでいたのか? だから、圭斗を襲った内島を殺した。これなら、そこまでは納得がいく。でもだったらなぜ、死体を圭斗の部屋に?
(やっぱりわかんねえ)
透は頭を抱えた。やはり警察が来るのを待つしかないのか。万が一、――もし自分がこの事件の真相を見い出し、犯人を捕獲して解決に導くことができたら。
幼い頃から警官に憧れていた新米刑事の透にとって、これ以上の栄誉はない。だが悲しいことに、圭斗の言う通り透にはそんな頭はない。地道に駆け回ってかき集めた証拠の山にようやく犯人を教えてもらうタイプだ。刑事ドラマの刑事タイプ。間違っても職業が刑事の名探偵、ではないのだ。しかし普段はそれでよくても、
「こんなとき、何の役にも立たねーじゃねーか……」
自嘲気味に吐き捨てる。もしまた被害者が出たら。この事件が連続殺人にでもなったら……。
だめだ。
透は頭を振った。そんなこと考えるな。大丈夫。そんなことにならないように、充分に気を配っているつもりだし、遅くとも今日の夜には吹雪が止んで警察が来る。
それに――
透は起こさないように圭斗の頭をそっと撫でた。
圭斗だけは、何があっても絶対に守る。このおれの、命に代えても。
花屋のにーさんの孤独な闘い
雪はまだ止んでいない。
彼は窓辺に腰を下ろし、物思いに耽っていた。――少なくとも、タカ子はそう思っていた。家に帰りたいのでしょうね、と。
本当のところ、頬杖をついた彼は目を開けたまま眠っていた。
がくっと頭が落ち、彼がハッとしたとき幸いにも、タカ子はその場を離れていた。
「あら、大変」
台所からタカ子の声がする。次いで彼女は姿を見せた。
そして彼女は、恐ろしいことを言ったのだ。
「食料が無くなりそうだわ……」
じゃあメシを抜け。彼はそのとき本気でそう思った。